感謝と任天堂に関わる人たち
感謝を伝えるって難しい。
私がブログを開いて一カ月ほどになりました。当初から覗いて下さっている方、読者になって頂いた方、スターを送ってくれる方々のおかげで、ここまで続けられている事に感謝しています。
自分の記事を書くだけでなく、皆さんの記事を読ませてもらうのが最近の楽しみでもあります。
勉強させて頂いている株ブログの方、日記等で素敵な文章を書かれる方、かわいいワンちゃんを見せて下さる方、面白い漫画を描かれる方、本や音楽等はもちろん、美味しそうな食事、趣味の紹介では自分が知る事の無かった世界、今まさに勉強されている方等、挙げればきりがありませんがよい勉強になっています。
今後もお時間の許す限りお付き合いして頂ければ、尻尾を振って喜びます^^
任天堂に関わる人
こちらのブログ様が私の記事を紹介して下さった様です。
投資関係のブログではありますが、ゲームファンが訪れてくれる事に、私自身1人のゲームファンとしても非常にうれしく思います。
せっかくなので任天堂関連を記憶を掘り起こして書いていきます。
さて任天堂と言えば名物社長の山内溥氏や、名プログラマーでもあった前社長岩田聡ですが、なんといっても「マリオ」や「ゼルダ」の生みの親とされる「宮本茂」氏でしょうか。
宮本氏はなんといっても代表的なエピソード「ちゃぶ台返し」が知られています。
スタッフが作成したゲームを「こうした方が面白くなる」と作り直させる所からつけられた名前(本人命名)だそうです。
私が初めて知ったのは雑誌の記事だったように思います。(ここからの記事は古い物なので記憶違いもあるかもしれません。どうかご容赦下さい)
当時「ポケモンスナップ」というポケモンのキャラクターをカメラで写真に収めるというゲームがありました。
www.nintendo.co.jp撮影方法はコントローラーのRボタンと言われる個所(ゲームをやらない人にはわかりにくいですね^^;)がちょうどカメラのシャッターと同じような位置であったため、そこを使おうと言うのが作成時のエピソードだったのですが、宮本氏が「ゲームと言えばAボタンでしょ」と作り直させたとか。
確かにRボタンというのはコントローラーの側面にある為、始めてゲームに触れるユーザーには分かりにくいのかもしれませんね。
そんな宮本氏の当時の話しで印象に残ったのが「大衆文化も歴史を重ねれば芸術のような扱いになる」という言葉があったように記憶しています。
娯楽要素の強い映画でも月日が経つと、その凄さが再認識される。また音楽でも当時は一般人の娯楽として楽しまれていたのが、時代とともに芸術として評価されるようになる。といった旨の内容でした。
(この辺りは調べてもネットに無く、当時の本もすでに手元に無い為間違えていたら申し訳ありません)
流通やネットの発展で急速に情報が身近になりましたが、今私たちの文化も世代が変われば違う見方をされるのかもしれませんね。